恋する死神

第三話

その街は何かを連想させる造りだな、と思ったら西部劇だった。一本道の両脇に古びた家が並んでいる。乾燥した土の道には風が吹くたび土埃が舞う。凄腕のガンマンとか保安官とか出てきそう。

エルが言ったマダム・シャトーは典型的な飲み屋にいた。あたしがエルと店に入っていくと「おや、また来たよ。バカな人間が」とアルトの声を響かせた。

店の女主人であるマダム・シャトーの見た目は、大きな頭を持つおばあさんだった。ジブリの映画に出てくるある人物を思い出す。あたしはまた思ったことをそのまま口にした。

「湯婆婆だ!」

「なんだい? そのユバーバってのは」

マダム・シャトーは怪訝そうにあたしを見る。エルはため息をつくと、「この娘はあんたと勝負する」と言った。

マダムは大きな頭と釣り合わない胴体に、スパンコールの光る黒いドレスを着ていた。「いい度胸してるね」と言いながらドレスを波打たせて立ち上がる。マダムが店の奥のカウンターに消えたところで、あたしはエルに聞いた。

「ね、勝負って何?」

「マダムと飲み比べをするんだ。それに勝ちさえすれば、この先珠玉を持っていても魔物に襲われることはない」

飲み比べ……。何を飲み比べるの? と聞こうとしたら、マダムがどう見てもお酒の瓶と二つのグラスを盆に乗せてカウンターから出てきた。

「あたしはこの辺じゃウワバミと呼ばれるほどの呑み助だ。いつもはワインが好きなんだが、今日はブランデーで勝負しよう。あたしに飲み勝てば、この魔酒の力で魔物が寄り付かなくなる。負ければここまで拾ってきた金を全部置いていってもらうよ」

ドンッ、と大きなグラスがあたしの前に置かれる。あたしはグラスの置かれたテーブルの前の椅子に座った。トポトポと音を立ててブランデーがグラスの口いっぱいに注がれる。

お互いのグラスがいっぱいになったところで、マダムがそれを手にとって一気に呷った。ごくん、ごくん、と二度程喉を鳴らすと、グラスのお酒は全部マダムの胃に消えていた。

店の中にポツポツと集っていた数名のギャラリーが、ワっと声を上げて手を叩いた。ピュウッと口笛を鳴らす者もいる。

「さあ、あんたもやりな」

マダムが余裕のある笑顔であたしにグラスを薦める。あたしはギリっと歯を噛み合わせると、グラスを口元に持っていった。



三十分後、マダムは床に倒れていた。熊だの、狼だの、グールだの、色々な形をした魔物達が、今では相当な数、店の中に集まっている。あたしはマダムより一杯だけ多く、ブランデーを空けた。エルは目をまん丸にして、椅子に座るあたしを凝視している。

「お嬢ちゃん、半端ないな。マダムに勝った人間はこの二百年で二人だけだった。あんたで三人目さ。酔わないのかい?」

近くにいた猿型の魔物が媚を打つようにあたしに言った。

「だてにお父さんのレミー・マルタンを毎晩盗んでないからね」

空になったグラスをテーブルの奥に押しやりながらあたしが言うと、「毎晩か……地獄に落ちるぞ」とエルがつぶやくのが聞こえた。

ふーんだ。死神から地獄行きを告げられるなんて、心外だわ。別に他人様から盗った訳じゃない、親からだもん。大目に見てよ。

あたしは呆れ顔のエルと一緒に店を後にした。外に出ると空が怪しい紫色に変わっている。「夜が来た。宿を探すぞ」とエルが言った。

エルが選んだ宿は、この界隈では割と綺麗な建物だった。中に入るとカエルの顔をした宿屋の女将さんがいそいそと出てくる。あたしは事前にエルから聞いていた通り、小さめの金を女将さんに渡した。女将さんは大喜びで八畳程の広さの部屋に案内してくれた。

「もしかして……一緒に寝るの?」

あたしはドキドキしてエルに訪ねた。あたしが何に緊張しているのかエルはすぐ分かったみたい。目を細めると冷たい流し目であたしを見ながら落ち着いた声で言う。

「俺の事は気にするな。二葉のカレシと違って、俺は四六時中発情していない。心配せず思う存分寝るがいい」

「ちょっ……待ってよ。それじゃ学がものすごいスケベみたいじゃない」

あたしの抗議にエルはフン、と顎を上げた。「何が違うんだ?」と言う。

「学は……あたしが好きなのよ。だからいつも優しくスキンシップしてくるのっ」

「……そうか。そう思っておいた方が幸せだ。無事戻った折には、お互い心ゆくまでスキンシップを楽しむといいだろう」

そう言うとエルは部屋の隅に腰を下ろして杖を肩に掛けた。あたしはエルの言葉が気になってくつろぐ気になれなかった。暫く黙っていたけど、「何よ。何か知ってるなら言ってよ」とエルに聞いてみた。

「自分の思いを大切にしろ。人生は長い。嘘から真が生まれることもある」

「余計気になる。そんな言い方されたら、もう知らないフリ出来ないもん」

あたしはエルのすぐそばまで行って、しゃがんで視線を合わせた。黒いマントに包まれ、首から上だけが白っぽく浮き上がって見えるエルは、本物の死神の雰囲気十分だった。

「何を聞いてもいい覚悟はあるか?」

エルは眉間に皺を寄せ、射抜くようにあたしを見る。

「覚悟はないけど、知らないで気分が悪いままいるよりはマシ」

あたしが言うと、エルは持っていた杖をあたしに向けて傾けた。杖の先端をあたしの頭に当てる。「こうすると、二葉の周りの事が分かる」とエルが言った。

「学には二葉の他に付き合っている女が二人いる」

あたしは息を飲んだ。ショックのあまり頭が上手く動かない。

「その二人の女も処女だ。学はいわゆるバージンキラーだ。男を知らない初めての女に異常なほどの執着心を示す。でも一度関係を持つと、あっさりその女から離れる。興味がなくなるんだな。結果、やられた女は捨てられる」

「……うそ……」

あたしは茫然自失でエルを見た。日に焼けた精悍な顔の学が頭の中でグルグル回る。好きだって言われたのに……。何度も、何度も、愛してるって……。

「俺が言う事じゃないかもしれんが、もしかしたら学は二葉に、本当の愛情があるかもしれない。人の心の真実など本人にも分からないものだからな。二葉にある他の女にはないパワーで、学の心に誠実さが生まれるかもしれん。悲観するのは早いと思うぞ」

エルは彼らしくない、ちょっと慌てた様子であたしに自分の考えを伝えた。でもあたしにはエルの希望的観測が、真実とは程遠いものだという事がなんとなく分かった。

学はあたしの初めてのオトコになりたかっただけなんだ。だって会うといつも隙あらばスカートに手を入れようとするんだもん。

あたしはそういう学の行動が愛情とは少し違うのでは? と思っていて、でも真実を見つめることをしなかった。そんな風に思ったら悪い、という遠慮の感情があったのも確かだ。

でも違う。……あたしの本当気持ちはこうだ。誰かの恋人になりたい。自分は〝愛されてる存在〟なんだって、思いたかっただけ。

あたしは黙って立ち上がると、部屋の隅に積んであった布団を床に敷いた。そのまま布団を被って丸まる。さっき飲んだ強いお酒が今頃回って来た。

今のあたしには、それが有難かった。



マダムに勝ったおかげで、その後の旅は楽なものになった。街を抜けると木が生い茂る獣道を歩く羽目になったけど、エルが道を教えてくれるので迷わずに済んだ。街より先には宿もなく、野宿する事になった。でも魔界は人間界の初夏の様な気候だったので、樹の下で寝ても寒くない。

食事はお父さんが持たせてくれた 乾パンやビーフジャーキーでしのいだ。お腹いっぱいにはならないけど、ダイエットには好都合かも。水は道の横に沿って続く川から調達できたし、その川で水浴びも出来た。そうしてエルと塔に向かう道を歩きながら、金も三十個集めた。

あたしは学の事が頭に浮かぶと、さすがに暗い気分になってしまったけど、その都度エルが気を遣って魔界でも人間が食べることの出来る木ノ実などを、わざわざ採ってきてくれたりした。

そんなエルの優しい態度で、彼を身近に感じるようになった。塔への道も三分の二を過ぎたところで、あたしはエルに人間だった頃の思い出を聞いてみた。

「俺は自殺者なんだ」

あっさり、エルはあたしに言った。

「付き合っていた女を、他の男に寝取られた。俺はプライドが高い嫌な奴だったから、女を取られた自分が許せなかった。もう百八十年ほど前になるかな。

エドモンド・ルイスは城のバルコニーから飛び降りた。自殺者の魂はなかなか浄化されない。だから気づいた時、俺は魔界の住人になっていた。死神に弟子入りし て、それからはずっと鎌を振るっている」

あたしはエルの昔話を聞きながら、彼もつらい恋の思い出を抱えてるんだ、と思った。苦しいのは自分一人じゃない。そう思ったらちょっと元気が出た。

前より笑うようになったあたしを、エルは安心した顔で見るようになった。塔が近づくに連れてエルの顔は青白さが減って、生気が戻ってきた感じがした。

それを見つけたのは旅を初めて七日目、そびえ立つ塔の姿がシルエットになって見えるようになった時だ。

小川のせせらぎが聞こえたので、水を飲もうと道を外れて藪に入った。川のすぐ横に大きめの岩があって、よく見ると岩にはくぼみがある。その中に何故か巨大なアコヤ貝が口を開けていた。

「ねぇエル。貝がある」

あたしが言うと、エルは即座に横に来た。「これはすごいぞ」と彼は言う。

「こいつは真珠だ。魔界の〝珠玉〟には金と真珠がある。真珠はそうそう見つからないが、一つ手に入れると金百個分の価値があるというぞ」

あたしは大喜びで真珠を手に入れようとした。でもあたしが近づくと、アコヤ貝はシュッと口を閉じてしまう。幅五十センチ、高さ八十センチはあろうかというデカい貝だ。挟まれたら手が抜けなくなるかもしれない。

「……これは厳しいな。下手に手を出して食いつかれたら指がもげるぞ。諦めよう」

エルはそう言ったけど、あたしはせっかく見つけた真珠を放置して行くのは悔しかった。貝は閉じた口を、またゆっくり開いていく。奥の方に直径二十センチはある真珠が光っている。

あたしは咄嗟に小太刀を投げた。貝に向かってそれは真っ直ぐ飛んでいく。パックリ開いた口の横にある貝柱に小太刀が刺さった。貝の口を開閉させるのは、貝柱のはずだ。そこが上手く働かなければ、貝は口を開くことも閉じることも出来なくなる。案の定、貝はブルブル震えると、降参したようにガパッと口を開けた。

あたしは恐る恐る貝の中に手を入れた。もう貝は動くことなく、口を開けたままになっている。あたしは人間界では目にしたことのない、大きな真珠をついに手に入れた。ピュー、とエルが口笛を吹く。

「やったな。まさか取れるとは思わなかった。二葉は本当に根性があるな」

エルの褒め言葉が終わらないうちに、あたしの上にバサッと網が被さった。エルは後ろに飛んで網にかからずに済んだけど、そのエルに向かって緑っぽい何かがぶつかって行くのが見えた。

エルは身をひねってそいつを避けた。細く長い手足を持つ緑色の敵は、そのものズバリ〝河童〟だった。